#TOCT9578
哀しみの孔雀

杏里
Anri

(1981)

Original Release 1981.09.21
Disc Number (LP) 28K27
Manufacturer FOR LIFE
 78年11月に尾崎亜美作の「オリビアを聴きながら」でデビューし,79年の各音楽賞の新人賞に軒並みノミネートされた後,83年の「キャッツアイ」の大ヒットまでの期間は,杏里にとって,セールス的には苦しい期間であったと思われます。この間の期間,80年夏から81年まで,杏里のレコーディングに関わっていたのが,他でもないムーンライダーズと,その周辺のミュージシャンたちでした。

 最初のリリースは,80年9月のシングルで,「可愛いポーリン」と「マウイムーン」のカップリング。2曲とも,湯川れい子作詞,鈴木慶一作曲,岡田徹編曲でした。「可愛いポーリン」は,ゆるめのイタリアンツイスト,「マウイムーン」は,タイトルはハワイですが,むしろカリブ風の曲。ライダーズ側としても,まだ手探りという感じ。
 続いて81年4月のシングル「コットン気分」と「砂浜」のカップリング。作詞作曲は2曲とも,かおるという人で,2曲とも岡田徹編曲。「コットン気分」は,歯切れの良いアレンジ,「砂浜」は,間奏で良明らしいギターのフレーズがきかれるなど,だんだん慣れていっているのがうかがえます。この2曲はブレイク後の杏里のイメージに近い,夏向きのリゾートソング。
 この2枚のシングルについて,「可愛いポーリン」はベストアルバム「杏里ザ・ベスト」(未CD化)に,他の3曲は,「哀しみの孔雀」の翌年82年にリリースされたベストアルバム「思いきりアメリカン」にも収録されています。

 2枚のシングルの後,いよいよアルバム「哀しみの孔雀」が作られます。リリースは,81年9月。同時リリースで,「異国の出来事」が「Am I Afraid?」とのカップリングでシングル・カットされています。
 アルバムには鈴木慶一プロデュースとクレジットされています。佐藤奈々子,大貫妙子,パンタ,松尾清憲(シネマ),比賀江隆男(ハルメンズ),糸井重里というライターの顔ぶれからは,明らかに曲発注の人選から任されたアルバムだということがわかります。時期としては,プロデューサーとして,パンタ,シネマ,ハルメンズのアルバムを作った後で,その経験と,そこで生れた人脈を生かしています。しかし,これまでは,プロデュースされたアーティストの持っていた持ち味を残す方法をとっていたのが,ここでは,プロデューサーの色で,新しい魅力を引き出す方法をとっています。後の渡辺美奈代のケースに似ています。そのアーティストにとって,ヒットの後の,セールス的に平行状態からやや下降気味の時期での作品であることも共通しています。ヒット曲のあったアーティストから,新展開が必要とされる時に任されるプロデューサーなわけです。ムーンライダーズのファンから見てですけれど,作品のクオリティは高く,けれどもセールス的には平行線から脱せなかったというのまで共通しています。

 レコードではA面にあたる1曲目から6曲目までは,佐藤奈々子の作詞の曲を中心に,フランス,イタリアなどヨーロッパのリゾートをイメージして作られている,といっていいでしょうか。このアルバム以前にも杏里には,「地中海ドリーム」というシングルがあったのですが,特にヨーロッパ風ではなかったように記憶しています。リゾート・ソングという流れは,これまでの路線を踏襲しています。ただ,音作りが,これまでの,ムーンライダーズが関わった2枚のシングルと比べても,もう別物なのです。岡田徹,白井良明の2人が,もう自分達のアルバムかのように,色を出しきっています。

 B面にあたる,7曲目から12曲目については,当時シネマのメンバーだった3人(松尾清憲,鈴木さえ子,小滝満)が参加している3曲も良いですが,それ以外のスローナンバー3曲が素晴らしい。ムーンライダーズ・ファンとしての注目は,やはり「さよならは夜明けの夢に」のカヴァー。鈴木慶一と岡田徹の2人だけで録音された,オリジナルの「イスタンブールマンボ」でのヴァージョンに対し,白井,博文,岡田,かしぶちの4人がバッキングを担当した杏里ヴァージョンは,ピアノのイントロはそのまま,間奏も,オリジナルでのムーグでのソロを白井良明がかなり忠実に再現しているなど,元々の曲の魅力を生かしたものになっています。というか,81年版のライダーズのセルフカヴァーのつもりでやっていたのかもしれません。

 制作時期が同時期である,やはり鈴木慶一プロデュースの野宮真貴のアルバム「ピンクの心」との共通点が多く見つけられます。イタリアン・ツイストの「エスプレッソで眠れない」は,「フラフープ・ルンバ」に,「シルエット・オブ・ロマンス」は「美少年」に,曲順,曲調とも,ほぼ共通ですし,クリスマスの歌である「リビエラからの手紙」に対して,「絵本の中のクリスマス」,「セシルカット」(ジーン・セバーグ)に対して「ツイッギー・ツイッギー」(ツイッギー),ムーンライダーズのカヴァー「さよならは夜明けの夢に」に対して,ハルメンズのカヴァー「モーターハミング」。ライターも鈴木慶一の他,佐藤奈々子,松尾清憲,パンタ(中村治雄),比賀江隆男が共通しています。
 「セシルカット」の作曲の比賀江隆男は,この後,「陽気な若き博物館員」に参加した後,ヤプーズのメンバーとして活躍します。ヤプーズのライブビデオでは,戸川純ヴォーカルの「セシルカット」を聞くことができます。

 なぜ杏里とムーンライダーズの組み合わせで作られたのかはわかりませんが,この頃,ムーンライダーズはフォーライフでザ・ぼんちとイモ欽トリオに関わっています。また,やはり78年に尾崎亜美作の「パステルラブ」でデビューした金井夕子が,その後79年秋の細野晴臣作曲,細野晴臣&坂本龍一編曲,YMO演奏の「チャイナローズ」を経て,80年には,大貫妙子作詞,細野晴臣作編曲の「Wait My Darling 」と糸井重里作詞,細野晴臣作編曲の「ハートブレイカーのために」(越美晴もカヴァーしている「走れウサギ」と異詞同曲,「走れウサギ」としては金井夕子のアルバム「ecran」に収録)をシングル・リリースしていたことから,もしかすると,細野晴臣に対してのムーンライダーズの起用だったのかもしれません。

 翌82年1月に,「エスプレッソで眠れない」が「シルエット・オブ・ロマンス」とのカップリングでシングル・カットされましたが,杏里のムーンライダーズ時代はここまででおしまい。3ヶ月後の82年4月には,小林武史作曲の「思いきりアメリカン」がリリースされ,2枚のシングルをはさんで,83年8月の「キャッツアイ」でブレイクしたわけです。

text: 古澤清人 Kiyohito Furusawa

Produced by KEIICHI SUZUKI
<< アルバム・データ

Original Release
●1981.09.21 (LP) 28K27 FOR LIFE
Re-issue
●1990.03.21 (CD) FLCF-29040 FOR LIFE
 *再発データ等ご存知の方は教えてください。

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