#TOCT9578
MIS CAST.

沢田研二
Kenji Sawada

(1982)

Original Release 1982.12.10
Disc Number (LP) 28MX1125
Manufacturer Polydor

 今でこそ、ムーンライダーズの中でプロデュース、アレンジの仕事がいちばん多くなっている白井良明ですが、初めて他人のアレンジをやったのは、当時ラジオで鈴木慶一が、「今度白井もアレンジ始めたんだよ」と紹介してた、藤真利子の大傑作「狂躁曲」の中での「花まみれのおまえ」でした。シングルA面を最初に手がけたのは、おそらく、アルバム「センチメンタル倶楽部」のレコーディングにも岡田徹とともに参加していた(プロデュースは後藤次利)82年3月の速水陽子の「やっぱり」です。その次であろうと思われるのが、ビッグ・スター沢田研二の「6番目のユウウツ」で、82年9月に白井良明編曲で登場したのです。

 それまでも、沢田研二との接点はなかったわけではないですが、白井良明が編曲者として起用されたのは、この少し前、82年5月発売の泉谷しげるのアルバム「NEWS」の半分の編曲を担当したことに伏線があるでしょう。当時の沢田研二のバックバンドのエキゾティクスと、泉谷しげるのバックバンドのバンマスは、共に、後に「いか天」審査員、今でも「LOVELOVEオールスターズ」で広く顔も知られる、吉田建でした。吉田建が白井良明に初めて会った時に、「You,何ができんの?」と言った話が、矢口博康のカセットブック「観光地楽団」の対談の中に出てますが、そんなことは言ってないと否定している中で語っている最初の出会いは、加藤登紀子のバックだったようです。

 グリーグの「ペール・ギュント」の「山の魔王の宮殿にて」まんまのインパクトあるイントロ、それに続く、白井良明に間違いないギターから始まるこの曲は、エキゾティクスのキーボード奏者の西平彰。沢田研二自作の「麗人」、ソロデビュー前の大沢誉志幸を起用した「おまえにチェックイン」と、勢いのあるロック的歌謡曲が続いていた時期に、その勢いを損なうことなく、更に妖しさが加わった名曲です。沢田研二の歌唱も、サビで「カメラ=万年筆」から80年代前期のムーンライダーズが得意だった、アンディ・パートリッジのような文末裏返り唱法で歌っていて、ニューウェイヴ的要素をも取り込んだ魅力でいっぱいです。最近では、及川光博がこの曲をカヴァーしていますが、なかなか的を得た、資質に合ったカヴァーセンスだと思います。

 続いて同じく82年の年末にリリースされたのは、全曲が井上陽水作詞作曲というアルバム「ミスキャスト」。リリース時の話題は、この点に集中していましたが、このアルバムは白井良明がほぼ全曲の編曲を担当(1曲のみ岡田徹編曲)した、いわば初めて全体をまかされたアルバムです。
 このアルバムの前のアルバムの「ストリッパー」や「A WONDERFUL TIME」などは、当時のいわゆるニューミュージックの人たちよりも、よっぽどロック寄りだと言えるものでした。それでも沢田研二は歌謡曲のスターなわけで、ジャンルを越えて語られる事は、あまりありませんでした。しかし、全曲井上陽水作という、ニューミュージックの文脈でも語られるべき内容を持ったことで、このアルバムは注目されました。82年という時期は、77年の「勝手にしやがれ」から70年代末、そして80年初頭の「TOKIO」あたりまでの、テレビの前の視聴者にわかりやすいかたちのコンセプトを曲ごとに提示していきながら、歌謡界の「一等賞」を歩んでいた時期から、ヒットはするけれども、ベスト10に入らないものもあるという、セールス的には、やや下降線を描き始めた時期にあたります。そういった時期に新しい路線を進む事で、黄金期の復活、新たな黄金期を狙ったのでしょうか。その中で、実は井上陽水の起用と同じくらい、白井良明の起用は新しい路線のために必要だったのだと思います。もしかするとアルバムを任せるための試験のようなものとして、「6番目のユウウツ」があったのかもしれません。ただ、スターとしての勝負はシングルだったはずで、シングルとなった「背中まで45分」は、白井良明編曲のアルバムヴァージョンではなく、吉田建編曲のヴァージョンになっています。

 一人の作者によるものながら、各曲はなかなかバラエティに富んでいます。しかし、井上陽水の歌詞は、歌謡曲としてはなかなか難解です。白井良明のアレンジも、なにしろムーンライダーズとして「マニアマニエラ」と「青空百景」を作った直後ですから、明るめの音色ではありますがいろいろな音が随所に散りばめられたアレンジは、前作のアルバムでの伊藤銀次や後藤次利の素直なロックンロールアレンジとは全く異質です。「6番目のユウウツ」では、沢田研二の色に自分のアイデアを加えた、という印象だったのが、ここでは、初めから自分のアイデアで作り始めたように、良明色が強く出ています。おそらく、わかりやすいスターであった沢田研二のファンであればあるほど、とまどったアルバムだったのではないでしょうか。「背中まで45分」は名曲だと思いますが、単純なロックナンバーでもバラードでもない、ゆるやかな、しかし濃密な流れをもつこの曲は、起死回生のヒットとはなりませんでした。これに続くジャングル・ビートの「晴れのちBLUE BOY」も果敢な試みだったと思いますが、上昇気流を生み出すことはできませんでした。アルバム「ミスキャスト」は文字どおりミスキャストなアルバムだったと言う沢田研二ファンの方々もいるようです。

 しかし、ムーンライダーズのファンとしてこのアルバムを聞いてみると、この前年に作られている野宮真貴の「ピンクの心」や杏里の「哀しみの孔雀」、藤真利子の「狂躁曲」などに匹敵する、ムーンライダーズ的な音、ムーンライダーズ的なフレーズが満載です。アップテンポの曲の質感は「狂躁曲」に近いでしょうか。そういえば、「狂躁曲」の1曲めの、この時期のムーンライダーズを象徴するタイトルの曲「薔薇」の作曲は沢田研二でした。
 このアルバムは、ノイズ的なものを含めた音色、響かせ方、ミキシングなど、明らかに当時の歌謡曲からは逸脱していました。しかし、「マニアマニエラ」や「恋はPush!Push!Push!」などと並べると、なんと違和感のない事か。また、当時はわかりませんでしたが、ヨーデル風コーラスで始まる「How Many "Good bye" 」のギターのリフ(前年の高見知佳の「ボーイフレンド」と同様)がアートポートの「チロリアン・ロック」と同じだったりします。
 エキゾティクスのメンバー(鈴木さえ子の東京マザーズにも参加した柴山和彦もメンバーでした)とアレンジの白井良明、岡田徹以外のクレジットはないのですが、武川雅寛や矢口博康も参加しているでしょう。冒頭の女性の声は美尾洋乃みたいではありますが、わかりません。

 沢田研二は、地味になっているとはいえ今でも現役ですが、97年のアルバム「サーモスタットな夏」、そして98年の「第六感」で、再び白井良明と組んでいます。
 さて、番外編として、エキゾティクスのアルバム「LIBRARY」というのが83年に出ているのですが、これに武川雅寛が参加しています。武川雅寛と吉田建は、この年渋谷LIVE INNでの「楽しい博物館コンサート」で、ゴーパッションとしてのライヴを行います。その他このアルバムでは、吉田建と野宮真貴のデュエット曲もあります。

text: 古澤清人 Kiyohito Furusawa

Producer: Kenji Kisaki
<< アルバム・データ

Original Release
●1982.12.10 (LP) 28MX1125 Polydor
Re-issue
●1996.11.20 (CD) TOCT-9578 EASTWORLD/東芝EMI

Last Modified
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