#VICL18175
ピンクの心

野宮真貴
Maki Nomiya

(1981)

Original Release 1981.10.21
Disc Number (LP) FLD-28007
Label Flying Dog
Manufacturer Victor
 今では、言うまでもなくピチカート・ファイブのヴォーカルとして、むしろムーンライダーズのメンバーの名前よりも広く知られているであろう野宮真貴。鈴木慶一プロデュースの、ハルメンズの「ハルメンズの近代体操」と「ハルメンズの20世紀」という2枚のアルバムにコーラスで参加、「20世紀」収録の「お散歩」では、2分ほどの短い曲ながら、リードヴォーカルまでやってしまった後、周辺の作詞家を含めたハルメンズやムーンライダーズのバックアップの元、鈴木慶一と岡田徹のプロデュースにより81年に作られたのが、アルバム「ピンクの心」。

 気持ちいいくらいに、過剰なまでに素直な声。感情移入や余計な歌唱力を必要としない、むしろ、成熟という暑苦しさを拒んでいるかのような声。何よりもポップミュージックを歌うのにふさわしい声。15年以上もたった、ピチカートファイブの今でも、シンガー野宮真貴の魅力は、何といっても、その声。もちろんここでの声と、今の声とはおなじではありませんが。ピチカートファイブの「悲しい歌」を和田アキ子も歌っていますが、ヴォーカルとしては立派でも、なんか力技だな、という気がしてしまう。腹の底から声を出さない方が素晴らしい曲というのもたくさんあるのが、ポップミュージックだと確認させてくれる野宮真貴。

 この「ピンクの心」では、まだ何の積み重ねもなく、余計な事をシンガーとして何もしていない。だけど、この声、このクセも何もない歌い方じゃなきゃいけない。ただ歌っているだけのようででいて、こんなものができてしまうすごさ。プロデューサー主導のデビューアルバムだと言ってしまうのは簡単ですが、それも、この声があればからこそのもの。

 資生堂のシャワーコロンのCMで、「女ともだち」の頭の一節がテレビで流れていたのは、81年のいつ頃だったのでしょう。始めからレコード化が決まっていたものだったのか、CMを作った後に、レコードにすることになったのか。テレビCMのバックで流れるヴォーカルは、その、ナメたような歌詞とともに、妙に記憶に残りました。野宮真貴のデビューシングルとして、「女ともだち」が「ウサギと私」とのカップリングでリリースされたのは、81年の7月。そして、9月にリリースされたのが、アルバム「ピンクの心」。ハルメンズと同じく、パンタを出していた、ビクターのフライングドッグ・レーベルからのリリースでした。また、タイトル曲もシングルカットされています。

 「少年でも少女でもない今まで見たこともない声とルックス」というのは、当時の野宮真貴についての、鈴木慶一の言葉です。その声(とルックス)に触発されて、音の実験も兼ねて、ニューウェイヴの波の中作られた、傑作ポップアルバム。EXの梅林茂作編曲の、中島はるみの「シャンプー」と並んで81年の、最もキュートなテクノ歌謡(シーナ&ロケットだってテクノと言われた時代ですもの)「女ともだち」に始まり、「モーターハミング」は、ハルメンズのオリジナルよりもスカっぽいリズムを強調。こんなに素直に歌を聞かせてしまうケースは珍しいし、一人称「ボク」のヴォーカルに耳を奪われてしまうけど、実はダブ的な音処理をしている名曲「船乗りジャンノ」。ピーター・ガブリエルの「III」やXTCの「ドラムズ・アンド・ワイヤーズ」など、スティーヴ・リリイホワイトのプロデュース・アルバムで聞かれた、当時慶一さんも注目していた、ドラムの残響をスパッと切るゲートエコーを試みたかのような「フラフープ・ルンバ」。あまりに個性的な上野耕路のシンセの音ゆえに、アルバムの中ではちょっと浮いてしまっているかもしれない、ゲルニカのレコードデビュー前に、野宮真貴ヴォーカルで作られたゲルニカの音、太田蛍一作詞、上野耕路作編曲の「原爆ロック」。何でもありだったニュー・ウェイヴの時代に、面白そうな試みをいろいろ試してみているレコードでのA面。そのいずれもが、野宮真貴のヴォーカルと合わさることで最上級の結果となった、この時代だからできてしまった極上のポップス。

 パブリック・イメージとはかけ離れた可愛い曲を、実は女性シンガー向けにはけっこう書いている、中村治雄(パンタ)作曲の「恋は水玉」で始まるレコードでのB面も、名曲ぞろい。この後のポータブルロック時代には歌うことがなかったけれども、ピチカート・ファイブでリメイクしたということは、小西康陽が気に入ってた曲だということなのかもしれない、やせっぽちの野宮真貴のテーマのような「ツイッギー、ツイッギー」。このアルバムの後に制作された藤真利子のアルバム「狂躁曲」のB面にその作風がつながっていく、わらべ歌風な「ウサギと私」。「スカーレットの誓い」から、武川ソロアルバムでの「テルスター」、良明プロデュースの大野えりのアルバムでの「ア・プレイス・イン・ザ・サン」と続く、「ヤーヤー」コーラスの先駆けとなるアルバム・タイトル曲「ピンクの心」。

 サウンド面のみならず、鈴木慶一、岡田徹両プロデューサー(クレジットの表記はディレクター)が、制作中に「現代詩を越えてる」と絶賛した歌詞も、このアルバムの魅力。作詞をしたのは、次の人たち。松本ちえこの「恋人試験」や、ナイアガラの「アンアン小唄」など変化球の作詞で有名な、伊藤アキラ。ニューウェイヴ・バンドSPYの後、写真家になる前の佐藤奈々子。当時ハルメンズのヴォーカルだった佐伯健三に、ハルメンズの作詞もしていて、その後もポータブル・ロック、VOICEに関わる高橋修、独特の画風のアートワークと、ゲルニカの作詞担当として有名になる太田蛍一。ここでは、特に佐伯健三と高橋修の歌詞が秀逸でしょう。

 演奏面で全編を通して大活躍なのは、白井良明のギターです。軽味のある、動きの細かい粒立ちのいい音と、歪ませないで帯のように持続させるのとを使い分けるソロと、ふにゃふにゃしているけどコシのあるカッティング。軽いけれども締まっているこのアルバムのカラーを代表しています。81年から83年くらいまでの加藤和彦や後藤次利編曲のアイドルポップスでも、同じようなギターがしばしば登場しているので、おそらくその大部分は、白井良明の仕業だと思います。ギターと共に、岡田徹のキーボードも、この時期としては破格の音色の豊富さで、アルバムを支えています。81年当時の可愛い音の宝箱。

 このアルバムと、杏里の「哀しみの孔雀」、藤真利子の「狂躁曲」の3枚のアルバム制作の経験がなければ、「マニアマニエラ」も「青空百景」も、あのように素晴らしいアルバムにはならなかったかもしれない。それほどに素晴らしい、ムーンライダーズのファンにとっても重要なアルバムです。

text: 古澤清人 Kiyohito Furusawa

Directed by 鈴木慶一,岡田徹,粕谷雅昭
<< アルバム・データ

Original Release
●1981.10.21 (LP) FLD-28007 Flying Dog/VICTOR
Re-issue
●1995.03.24 (CD) VICL-18175 INVITATION/VICTOR
●2005.08.25 (CD) SS-117 SS Recordings

Last Modified
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